東京高等裁判所 昭和52年(行ケ)96号 判決
一 原告の請求原因及び主張の一ないし三は、当事者間に争いがない。
そこで本件審決に、これを取消すべき瑕疵があるかどうかについて考える。
二 第一引用例(成立について争いのない甲第六号証)には、
式
<省略>
〔式中Rは炭素原子数一ないし二八のアルキル及び炭素原子数六ないし一四のアリール(このアリールは水素、炭素原子数一ないし一八のモノー、ジー、及びトリーアルキル基からなる群より選択される一員を置換基として含有する)よりなる群中の少くとも一員を表わし、R1は水素、メチル、エチル、フエニル及びシクロヘキセンオキサイドからなる群から選択される一員を表わし、m及びnは一ないし一五〇の正の整数を表わす〕で表わされるポリアルキレングリコール硼酸エステル(審決のいう有機ポリアルキレンオキシボレート)が作動流体として用いられることが示されているところ、右一般式で表わされる化合物のうち、(1)Rを炭素原子数一ないし四のアルキル基、R1を水素、m+nを三ないし五とすると、それは本件第一の発明の(A)、(a)式の硼酸エステルと同じであり、(2)Rを炭素原子数一ないし四のアルキル基、R1をメチル基、m+nを三ないし二一とすると、それは本件第一の発明の(A)、(b)式の硼酸エステルと同じであり、(3)Rを炭素原子数一ないし四のアルキル基、R1をメチル基、m+nを二一以下、オキシエチレン単位をオキシアルキレン単位の全重量の二〇%以上とすると、それは本件第一の発明の(A)、(c)式の硼酸エステルと同じである。ただ、本件第一の発明の(A)、(d)式においては、『n及びmはおのおのの鎖において独立に選択される正の整数であり、おのおのの鎖におけるこれらの和は二ないし二〇であり、また「鎖の二つ以下においてnとmとの和は同じである」』と記載されているから、硼素原子と結合している鎖の最初のものと二つ以下のものとは異なる基であると解せられるところ、第一引用例に記載の硼酸エステルは、硼素原子と結合している基の全部が同じであるから、その点で本件第一の発明の(A)、(d)式の化合物と第一引用例の化合物とは異なるものであると認められる。
審決は、本件第一の発明と第一引用例に記載された発明とを比較すると、両者は作動流体として使用するポリアルキレングリコール硼酸エステル(有機ポリアルキレンオキシボレート)を同じくすると認定しているところ、前説明のように、本件第一の発明の(A)、(a)ないし(c)式のものは第一引用例のものと同じであるが、(A)、(d)式のものはそれとは異なるものであるから、審決の右の認定は正確なものとはいえない。しかしながら、本件第一の発明の(A)、(a)ないし(d)式のものは、「……の硼酸エステルからなる群から選択される少くとも一つの潤滑剤」(昭和五〇年二月二八日付手続補正書―成立について争いのない甲第五号証―第三頁第一、二行)とあるように、任意選択的成分であり、そのうち(A)、(a)ないし(c)式のものが第一引用例のものと同じである以上、審決の右認定が誤りであるとするを得ない。
三 第二引用例(成立について争いのない甲第七号証)には、従来、作動流体として、平均分子量五〇〇以上のポリアルキレングリコールエーテル(第二引用例及び審決ではポリオキシアルキレングリコールという名称を使用している。)殊にそのブチルエーテル誘導体が使われ、その稀釈剤としてジエチレングリコールモノエチルエーテル等の普通の稀釈剤が使用されることが示されている(第一頁右欄第七行ないし第二五行)ところ、本件第一の発明における式R〔O―(CxH2x)〕yOR´(ただしRは炭素原子一ないし四個のアルキル基であり、R´は水素と炭素原子一ないし四個のアルキル基とからなる群から選択され、xは二ないし四の整数であり、またyは二ないし四の整数である)で示される稀釈剤中には、ジエチレングリコールモノエチルエーテルが含まれることは明らかである。しかして、本件第一の発明の(A)、(a)ないし(d)式で表わされる化合物はポリアルキレングリコールエーテルを硼酸と反応させてエステルとしたものであり、第二引用例のポリアルキレングリコールエーテル(ポリオキシアルキレングリコールエーテル)とは、長い鎖状の分子の末端に硼素原子が結合しているか否かの点で相違しているのみであり、両者は分子の構造が極めて近似した化合物であるから、共にポリアルキレングリコールエーテル系化合物であるということができる。そうすると、第二引用例にはポリアルキレングリコールエーテルが作動流体として使用され、ジエチレングリコールモノエチルエーテルがその稀釈剤として用いられることが示されているのであるから、そのジエチレングリコールモノエチルエーテルを含む本件第一の発明の(C)成分の稀釈剤を、作動流体として使用されることが示されている第一引用例記載のポリアルキレングリコール硼酸エステル(有機ポリアルキレンオキシボレート)と同じ本件第一の発明(A)式表示(ただしA、(d)式を除く)の作動流体の組成物として使用する程度のことは、当業者にとつて格別の創意を要しないものと認められる。
四 右のとおり、本件第一の発明の(A)成分の化合物に稀釈剤として(C)成分の化合物を用い、この組成物を作動流体として使用することが、第一、第二引用例から当業者が容易になし得たものとすれば、その流体中の各組成物の重量比を決定することは実験による確認の問題にすぎず、これもまた創意を要しないものと認められる。
五 以上のとおり、本件第一の発明は第一、第二引用例の記載に基づいて当業者が容易に想到し得たものとした審決は妥当なものと考えられるところ、原告は、本件発明は原告が四の(一)の項で述べたような本件発明の目的ないし課題を、特許請求の範囲に記載したような作動流体組成物を構成することによりすべて解決したものであつて、その効果は特段に顕著なものであるから、引用例から容易に推考し得たものとすべきではない、との趣旨の主張をするので、その点について判断する。
六 本件明細書(甲第二号証)によれば、本件第一の発明の(A)成分に包含される化合物は、明細書に例示されているものに限つてみても、(a)式で表わされる硼酸エステルに属するもの九種類(第八頁第六行ないし第一九行)、(b)式で表わされる硼酸エステルに属するもの七種類(第一〇頁第一二行ないし第二一行)、(d)式で表わされる硼酸エステルに属するもの三種類(第一四頁第一一行ないし第一五頁末行)に及んでいる。更に(a)式で表わされる硼酸エステルは、yが二ないし四の整数であつて、オキシアルキレン単位の繰返し数が比較的に少いものに限られているが、(b)ないし(d)式で表わされる硼酸エステルは、それぞれm及びnの合計が二ないし二〇、rとsとの和が二〇以下、及びnとmとの和が二ないし二〇であつて、オキシアルキレン単位の繰返し数が広範囲に及ぶ。そして、オキシアルキレン単位の繰返し数が二の硼酸エステルと二〇の硼酸エステルとでは分子量が著しく異なり、その性質も異なることが予測される。また、(C)成分に包含される化合物は、本件明細書に例示されたものに限つてみても一七種類(第一六頁第一行ないし第一七頁第一三行)に及ぶ。従つて、本件第一の発明の構成要件に含まれる(A)成分と(C)成分との組合せは極めて多数に及ぶはずである。
ところで、本件明細書には本件第一発明の具体例が三一記載されていることが認められるところ、これらの具体例においてその成分及び組成割合のみを記載し、その性能を全く示していないものが一六例(例一一ないし一五、二一ないし三一)、その成分及び組成割合とともにその性能のうち還流沸点と水に対する許容性の二点のみを記載したものが三例(例二ないし四)、同じく性能のうち還流沸点と粘度の二点のみを記載したものが五例(例一六ないし二〇)、同じく性能のうち還流沸点と水に対する許容性及び粘度の三点を記載したものが五例(例五、六、八ないし一〇)であり、例一には(A)成分として〔CH3(OCH2CH2)3O〕3―B、(C)成分としてトリエチレングリコールモノメチルエーテルを使用した組成物が示され(第四四頁第四行ないし第一〇行)、この組成物は沸点、潤滑性、粘度、他の流体との混和性、水に対する許容性、及びゴム膨潤性につき、ソサイアテイーオブオートモーテイブエンジニアズの規格SAE七〇R三を全て満足するものである(第六二頁、第一五行ないし第六四頁)こと、例七に示された組成物中の成分(A)及び(C)は例一のそれと同じである(第四八頁第九、一〇行)ことがそれぞれ認められる。
右認定したところによれば、本件第一の発明にかかる組成物中、原告主張の顕著な作用効果が一応あるものと認められるのは例一に記載されている〔CH3(OCH2CH2)3―O〕3―Bとトリエチレングリコールモノメチルエーテルとの組合せ一例のみであり、本件第一の発明の構成要件に該当する極めて多数の組合せからなる組成物全てについて、原告主張のような顕著な作用効果をもつことは明細書に記載されてもいないし、また右例一の記載からこれを推認することもできない。
よつて、右の顕著な作用効果の存在を前提として、審決の違法をいう原告の主張は理由がない。
七 以上のとおり、審決に違法の点はなく、原告の本件請求は理由がないから、これを棄却する。
〔編註〕 本件における特許発明の要旨は左のとおりである。
(一)(A) 作動流体(hydraulic fluid)組成物の全重量に基づき約五四・五ないし九二重量%の、
(a) 式
(R1〔O―(CxH2x〕y―O)3―B
(ただしR1は炭素原子一ないし四個のアルキル基であり、xは二ないし四の整数であり、またyは二ないし四の整数である)の硼酸エステル
(b) 式
〔R1(OCH2CHR2)m―(OCH2CHR3)nO〕3―B
(ただしR1は炭素原子一ないし四個のアルキル基であり、R2及びR3は水素及びメチル基からなる群から独立に選択され、m及びnは合計が二ないし二〇である正の整数であり、またR2及びR3の一つはメチル基であり、R2及びR3の一つは水素であるものとする)の硼酸エステル
(c) 式
(R1〔Rg〕O)3―B
(ただしR1は炭素原子一ないし四個のアルキル基であり、Rgは式
〔―(OCH2CH2)r(OCH2CHCH3)s―〕
(ただしrとsとの和は二〇以下である)のヘテロな(heteric)オキシアルキレン鎖であり、またオキシエチレン単位はすべてのオキシアルキレン単位の全重量に基づき二〇重量%以上である〕の硼酸エステル及び
(d) 式
<省略>
(ただしT1、T2及びT3はそれぞれ、炭素原子一ないし四個を有する独立に選択されるアルキル基であり、R4、R5R6、R7、R8及びR9は水素とメチル基とからなる群から独立に選択され、n及びmはおのおのの鎖において独立に選択される正の整数であり、おのおのの鎖におけるこれらの和は二ないし二〇であり、また鎖の二つ以下においてnとmとの和は同じであるとする)の硼酸エステル
からなる群から選択される少くとも一つの潤滑剤
(B) 流体組成物の全重量に基づき〇ないし二〇重量%の一五〇以上約四〇〇までの分子量を有するポリオキシアルキレングリコール及び
(C) 流体の全重量に基づき約三ないし約四三重量%の、
式
R〔O―(CxH2x〕yOR、
(ただしRは炭素原子一ないし四個のアルキル基であり、R´は水素と炭素原子一ないし四個のアルキル基とからなる群から選択され、xは二ないし四の整数であり、またyは二ないし四の整数である)の少くとも一つの稀釈剤とからなる作動流体組成物。
(二)(A) 作動流体(hydraulic fluid)組成分の全重量に基づき約四四ないし九二重量%の、
(a) 式
<省略>
(ただしR10及びR11は水素とメチル基とからなる群から独立に選択され、R12、R13、R14及びR15はそれぞれ炭素原子一ないし四個を有する独立に選択されるアルキル基であり、またn及びmはおのおのの鎖において独立に選択される正の整数であり、おのおのの鎖におけるこれらの和は二ないし二〇である)の硼酸エステル及び
(b) 式
<省略>
(ただしR10及びR11は水素又はメチル基からなる群から独立に選択され、R12及びR13はそれぞれ炭素原子一ないし四個を有する独立に選択されるアルキル基であり、R16はポリオールの反応性ヒドロキシル基を除いた有機残基であり、Pは二ないし六の整数であり、またn及びmはおのおのの鎖において独立に選択される正の整数であり、おのおのの鎖におけるこれらの和は二ないし二〇である)の硼酸エステルからなる群から選択される少くとも一つの潤滑剤
(B) 流体組成物の全重量に基づき〇ないし約二〇重量%の、一五〇以上約四〇〇までの分子量を有するポリオキシアルキレングリコール、及び
(C) 流体の全重量に基づき約三ないし約五〇重量%の式
R〔O-〔CH2)x〕yOR、
(ただしRは炭素原子一ないし四個のアルキル基でありR´は水素と炭素原子一ないし四個のアルキル基とからなる群から選択され、xは二ないし四の整数であり、またyは二ないし四の整数である)を有する少くとも一つの稀釈剤
からなる作動流体組成物